終わりなき旅~自律神経失調症と生きる~

自立神経失調症と生きるミスチル好きの普通のサラリーマン。雑記ブログ

人間の欲は、果てしない。

今日は、マズローの欲求について考えてみました。

 

人間は、マズローの欲求の段階に従って、常に欲を求める生き物だともう。

なので、今自分がいる欲求の段階で、幸せを感じることができなければ、その人は、いつまで経っても幸せを感じることはできなく、不満を嘆いてしまうと思う。

 

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自律神経の調子が悪いときは、「生理的欲求」の中で生きている。このときは、本当に辛いとき。仕事のことや、他人のこと、自分がどう思われるかは正直どうでも良くなる段階。健康でいれれば、他に何もいらないと感じる。本当にそう思ってい生きている。

そのためなら、お金を使っても、他人にどう思われても、健康のために「行動」するし、健康に近づくことがどれだけ幸せかということが感じられる。

 

「生理的欲求」の中で生きているときは、食べ物がおいしいと感じれることだけでも、どれだけ幸せなのかということが実感できる。私は、一時期、食事が怖い時期があった。二十歳から2年くらいそんな時期が続いた。なぜか、人とごはんを食べると気持ち悪くなり、吐き気がするのだ。誰かと会ったり、遊ぶだけでも、気持ち悪くならないかな?吐き気で人と話すこともできないかな?と心配する日々であった。

女の子と遊ぶ時だって、どんなお店でごはんを食べようかとか、何をして遊ぼうかなんて考える余裕がなかった。ただ、自分の体調と不安になりがなら、不安を隠して遊ぶのです。そんか男は、魅力なんてあるわけないですよね(笑)自分でもわかっているのですが、体調によって多くの失敗をしてきたと思います。

 

本当に、ただただ、おいしくご飯が食べられる。夜は寝ることができる。こんな当たり前なことができるだけで、心から幸せなのです。

 

 

そして次の段階になると、「安全な欲求」です。

健康でいられること、大切な人が健康で、安全に毎日過ごせていること、こんなことに、幸せを感じ感謝して生きることができます。

日々の刺激なんていりません。毎日、当たり前で変化のない日々が、続くことの幸せをかみしめることができます。 歳をとり、高齢になっていくと、この段階にマインドを置く人が多いのかなと思います。きっと自分もそうだと思います。

 

しかしながら、体調がよくなって、しばらくすると辛い記憶が薄れていくのです。

そして、新たな欲求がでてきます。「社会的欲求」です。お金を稼ぎたい。どこかに所属していたい。

そんな欲求がでてきます。「社会的欲求」です。良い学校に入りたい、良い会社入りたいなどの集団に所属したい欲求です。この時も、この会社に所属できたなら、もう何もいらない、入れたらどれだけ幸せだろう。なんて、そんなことを考えたりします。そしてそのステータスを得るために、一生懸命頑張ります。

体調に負荷がかかるようなことや、食事、睡眠を犠牲にしても、一生懸命頑張ります。

 このときは、「生理的欲求、安全の欲求」が満たされているため、眠れること、食べ物がおいしいことなど当たり前だと捉えています。なので、ごはんをおいしく食べれることがどれだけ幸せなことかは忘れてしまっているのです。そして、自分の居場所(会社、学校、家族など)を手に入れるまでは、不満、不安と戦い苦悩するのです。

「生理的欲求、安全の欲求」の段階にマインドがあったときは、自分のステータスなんかなくても幸せを感じれていたはずなのにです。。

 

その後、希望の場所に所属できたとします。その時は、とても満足感と幸せいっぱいになると思います。ところが、しばらくすると、次の欲求が現れます。「承認の欲求」です。組織の中で認められたい。人から必要とされたい。存在感を示したい。

「社会的欲求」の段階では、求める場所に所属されれば、十分と考えていたはずですが、それが当たり前となるとその組織に所属できている幸せを忘れてしまうのです。

そして、周りよりも劣っていると不満、不安になり、また一生懸命、人に認められるために頑張るのです。

 

このように、人間は、下位の欲求が満たされると、また1つ上位の段階に上りそこのマインドで生きようとします。そして、その欲求のためにまた頑張ろうとするのです。

こうなると、いつまでたっても、やり遂げても、次の欲求が生まれその中でもがき苦しむこととなります。頂点に立つまで続くのです。

 

これは、本能的なことで、人間の遺伝子にインプットされているのでしょう。この欲求があるからこそ、人はいつ人生が終わるかわからない、この人生という「終わりなき旅」を欲をもって生き続けることができるかもしれません。

 

どの段階にいるかによって、幸せの価値が変わってきます。

すべてはとらえ方次第なのです。

 

誰だって、どんな状況だって、いつでも幸せを感じれることはできるはずなのです。

 

今、自分の状況もよく観察して考えると、幸せなことがいっぱいあるはずです。

 

 

「健康第一、安全に暮らせる」こんな当たり前ことが、どれだけ幸せかとういうことを常に忘れず、毎日一生懸命生きていきたいと思います。