今週のお題「やり込んだゲーム」
私が、やり込んだゲームは、「スーパーファミコン(SFC)」です。現在の子供たちには、何のことやらさっぱりでしょう。
上記のスーパーファミコン本体にゲームカセット(ソフト)を差し込み、テレビ画面に映してゲームを行います。今や、スマホ1つで全てが完結してしまうのですが、当時はこれが画期的なゲーム機でした。技術の進化の速さは、1990年~2010年あたりは本当に著しくてびっくりします。
小学生のとき、兄弟と一緒にお年玉を貯めて、やっとの思いで手に入れました。買うことができたときは、とても感動しました。あんなに無我夢中で、心をワクワクさせるなんて、ゲームの力はすごいです。寝ることや、食べることを惜しんでやってたのを覚えています。大人になるとあそこまで、夢中になって取り組めることなんてなかなかないし、ある意味「青春」ですね。
夢中でやり込んだSFCのゲームソフト10選
- ストリートファイターⅡ(1991年3月)
- ゼルダの伝説(1991年11月)
- シムシティ(1991年4月)
- スーパーサイヤ伝説(1992年1月)
- トルネコの大冒険 不思議なダンジョン(1993年9月)
- ロマンシングサガ(1992年1月)
- ファイナルファンタジーV(1992年12月)
- ファイナルファンタジーⅣ / FFⅣ(1991年7月)
- ドラゴンクエストⅤ(1992年9月)
- マリオーカート(1992年8月)
ストリートファイターⅡ(1991年3月)
初代スト2。これは、はまりましたね。ゲームセンターでしか出来なかったストリートファイターⅡが、なんと自宅でもできるわけですから、当時とても興奮したのを覚えています。コントローラからのコマンド入力から、たくさんの技の練習を親指にマメができるくらいひたすらやりました。なんといっても、1番難しい技は、たしかザンギエフの「スクリューパイルドライバー」だった気がします。敵が動いてる中、十字キーを一回転させてから相手を投げる高難易度な技でしたが、ひたすら練習して習得しました。本当に楽しかったなと振り返ると思います。
ゼルダの伝説(1991年11月)
子供の頃流れてた「ゼルダの伝説」のCMをみて買いたいと思い、親に相談したのを覚えています。「毎日、雨戸閉め、風呂洗いをすれば、1回100円の日給をあげるから自分でお金を貯めなさい」と言われ、コツコツ貯めて購入したのを覚えています。 アクションRPGゲームで良くできていると思います。個人的には、「マスターソード」のレベルを上げていくのが好きでした。レベルが上がると、剣を振った時の風を切る音が重低音になっていくのがたまらなかった。また、ハートのかけらを全て集めるのにも夢中になってました。
シムシティ(1991年4月)
これもはまりましたね。自分だけの街を作って、人口を増やしていくなんて、なんて楽しいのだろうって思っていました。道路や電線、空港、病院、発電所、など様々なインフラを作っていくのが楽しかったです。小学生ながら、街がどのようにできているのか勉強にもなりました。また、公害や犯罪なども意識して、警察署、公園なども考慮しなければなりませんでした。最終的には、これは「メガロポリス」といって人口50万にを超えることが目標だった気がします。そうすると、「マリオ像」がスペシャルアイテムとしてもらえます。私は、海を埋め立て、海の真ん中にマリオ像専用の土地をつくり、そこに「マリオ像」を建て、自己満に浸った思い出があります。
スーパーサイヤ伝説(1992年1月)
子供の頃大好きなアニメだった「ドラゴンボールZ」がSFCでできるということで、すぐにほしいと思いました。これは、確か親戚のおじさんが、何でもいいから買ってくれるということで、その時にお願いして手に入れることができたソフトです。やはり夢中になりました。このソフトの面白いところは、ストーリーがいくつもあるということ。ゲームを進める速さや、残ってるZ戦士によってストーリが変わるのです。そしてなんといっても、最後スーパーサイヤ人に悟空なったときの戦闘力が「4999999」になることに感動したのを覚えています。さらに、フリーザを倒した後に、ベジータが生きていれば「スーパーベジータ」とも戦うことができます。たしか戦闘力「6000000」だったかな。面白かったな。
トルネコの大冒険 不思議なダンジョン(1993年9月)
トルネコの大冒険 不思議のダンジョン - Wikipedia
小学生のとき、とても難しく感じました。途中で死んでしまうと、アイテムを失ってしまいます。確かSFCのシステムでは死ぬ前にセーブしたデータに戻れません。(エミュレータなどで、PCならどこからでもセーブして始めることができるが)1つの行動が命とりになることもあり、かなり頭を使うことが多いと思いました。ゲームは、よく親や先生からは「悪」という風に位置づけられていたと思います。しかしながら、実は、ゲームが、子供達の論理的思考を育てている面も十分にあります。頭の中で戦略を考えたり、問題の本質を考えたり、思考する楽しさを教えてくれるゲームも多々あったと感じます。トルネコの大冒険は、非常に楽しくやり込みました。最終的には、「不思議なダンジョン」の地下99階までいって「最後の巻物」をとったり、「もっと不思議なダンジョン」の地下50階の「証明の巻物」をとってゲーム自体はクリアしました。ただ、クリアしたとしても永遠に何回もダンジョンを冒険することが可能です。ユーチューブなどで動画を調べると、2021年の現在でも、トルネコの大冒険をいまだに楽しんでるコアな人達がいることに驚きます。それほど、トルネコの大冒険は奥が深いゲームです。今の子供達にもやってほしいです。
ロマンシングサガ(1992年1月)
これもやばいソフトですね。バグが多いところもありますが、非常に楽しめるRPGでした。FFやドラクエよりも難易度が高いと感じていました。あと何といっても、ゲームのオープニングの曲がかっこよくてたまらなったです。なんかその曲を聴くだけで、心が踊りワクワクしてたのを覚えています。また、このゲームの特徴としては、主人公の性別や特性を自分で決めて、自分だけの冒険ができるところです。ストーリーは、非常に複雑で、時間や行動の仕方で多数のイベントが発生します。1つ間違えると2度発生しないイベントなどもあり、とても難しく何度でも楽しめちゃうRPGでした。私は、アルベルト、グレイなどで始めることが多かった気がします。もうほとんど覚えていなのですが、最強の武器をそろえるために幻の街「オールドキャッスル」に行くことができたときは、非常に感動しました。当時のようにSFCでしかプレイできなく、またインターネットなどの情報もないからこそ難しくて楽しめるんですよね。
ファイナルファンタジーV(1992年12月)
既にファイナルファンタシジーシリーズはまっていたので、Ⅴ(ファイブ)がでるとわかったらすぐに予約して、速攻手にいれたことを覚えています。FFⅤでは、新しくジョブという職業を選択できることができるようになりました。非常に面白いシステムです。アビリティのレベルを上げれば何にでもなれるのです。ナイト、忍者、魔法使いなんでもなれます。すべてのジョブをマスターするまで何十時間、何百時間??もやりました。また、このゲームでは「青魔導士」というモンスター特有の青魔法を使える職業がありました。この魔法を習得するには、そのモンスターの魔法を直接受けなければなりません。そして、その戦いで勝ち、生きた状態でいなければならないのでなかなか習得に難しい魔法もありました。私は、「青魔法」を全てコンプリートしたのを覚えています。1番大変だったのは、「マイティーガード」という魔法です。自分自身に使う魔法なので、直接青魔導士が魔法を受けるには、モンスターに「リフレク」をかけて、「マイティーガード」という魔法がモンスターから青魔導士へ跳ね返ってくることを待たなければなりませんでした。また、その敵もかなり強く、ある所でしか現れないので、この青魔法を覚えたときは感動しました。とにかくやりまくったゲームの1つであることは間違いないです。
ファイナルファンタジーⅣ / FFⅣ(1991年7月)
これは、私が初めて購入したRPGです。仮想空間ですが、仲間と冒険する楽しさ、モンスターを倒し、アイテムを手に入れ、新しい街を探し、世界を救うなんて、面白すぎました。私自身、ファミコンをもっていませんでしたので、FFのⅠ~Ⅲは、やったことがなく知りませんが、このFFシリーズのゲームには衝撃を受けました。
勇者、戦士、魔法使い、忍者、召喚士などいろいろな特技を持ったパーティで協力して冒険なんてワクワクするしかないですよね。このゲームにより、私は、RPGの楽しさを知ってしまいました。このゲームで印象に残っていることは、最強の黒魔法「メテオ」ですね。たしか、これはMPの消費がハンパなく、敵に9999のダメージを与える威力があったと思います。テラが無理して命と引き換えにこの魔法を使うシーンを今でも覚えています。こうやって書き起こすとまたゲームやりたくなっちゃうよな~。そんな時間は今はないですが。。。
ドラゴンクエストⅤ(1992年9月)
これは、超王道RPGでしょう。誰もが夢中になってはまったはずです。同じくらいの年代でゲームをやったことのある人ならば。予約殺到で社会現象までになってたのを覚えています。このドラクエⅤは、私の弟が泣きながら親に頼み込んで購入しました。私は、発売当時そこまで意識はしていなかったのですが(そもそもドラクエをやったことがなくイマイチわからなかたった)、手元に届き一緒にやりはじめたら速攻はまりました。このソフトの大きな特徴は、何といってもモンスターを仲間にできるというところです。現在では、モンスターを仲間にするという類のRPGソフトはたくさんありますが、当時では初めて導入されたシステムだと思います。また、ストーリーも良くできていて、子供時代から大人時代の冒険や、親の死、奴隷にされる時代、結婚相手を選択する場面、子供の誕生等といったドラマが多数あります。いろいろなストーリーを楽しめる素晴らしいソフトだと思いました。また、カジノなどで遊ぶこともできます。当時は、ゲームの中で、ゲームするなんてと不思議な感覚でした。ドラクエⅤと言われて1番覚えている衝撃なことは、やり込みとおした私のセーブデータが、電源を入れたと同時に「変な音楽」と共に消えたことでした。。。呪いの音楽です。今でも覚えています。
マリオーカート(1992年8月)
これは、面白かったです。おそらく1番長くはまってた気がします。友達とやり始めたらほんと暗くなるまでずっとやってた気がします。基本的に、土日など朝起きたらまず何よりもTVの電源とSFCのカセット差し込んでスイッチオンでしたね。どれだけの時間をこのゲームと過ごしたかわかりません。はじめは、キノピオとか、ヨッシーとかを使ってましたね。初速が早いので。でも、少しずつうまくなってくると、加速度は遅いけど、最高速度が1番出るクッパ、ドンキーを使うようになります。そしてジャンプボタンと組み合わせてドリフトをするようになるのです。当時、マリオカートで競争するテレビ番組をみてドリフトは覚えました。いや本当によく見て分析したなぁ。それで1番はまるコースは、マリオーサーキット1のコース(上右図参照)です。これは超王道! クッパかドンキーを使えて、ある程度ドリフトができると、「1分3秒」くらいで走れるようになります。そしてさらに、インコースギリギリを極めていき、無駄を極限までなくしていくと、「1分00~1分1秒」くらいにまで伸ばせます。このレベルでも相当やり込んでいて早いレベルです。ただここから先は、新しい技術「ミニターボ」を習得しなければこれ以上のタイムは出ません。ドリフトを一定時間入れたあとにハンドルを逆に切ると、砂場に入ってもスピードが落ちない現象が起こります。この技をコンスタントに発現できるようになり、ある程度砂場のショートカットができるようになると夢の1分を切ることができます。だいたい「58秒~59秒程度」まで出すことが可能です。私自身はこのレベルでマリオカートを卒業することになりましたが、現在でもユーチューブを見ると限界にチャレンジしている動画が見受けられます、本当に異常な執念ですね尊敬します。動画では、「55秒~57秒」くらいのがアップされています。やばいですね。ミニターボと極限のコースカットを組み合わせて5周完走しています。血と涙の努力が伝わります。私のレベルでさえ、未だにコントローラを握れば、手が感覚を覚えていて、かなり早いスピードで走れますが、上には上がいることを思い知らされますね。SFCで1番売れたソフトのようです。マリオーカートは、今でも新しいソフトが続々と出ていますが、このソフトを超えることはありませんね。
以上、私の「青春ゲーム」10選を振り返りました。また、いつかやろうと思います。